相撲は日本の国技であり、古くから親しまれていますが、今回はその由来や起源に迫ってみましょう。実は、起源は今から1000年以上も前とされています。日本最古の歴史書である古事記や日本書紀に力比べの神話が記載されており、素手で行われる力自慢はその頃から行われていたと考えられています。有名なのは絵にもなっている野見宿禰と当麻蹴速による天覧試合です。垂仁天皇の前で行われたという試合は、いくつもの絵に描かれ、日本書紀にも記されています。この当時は、この競技を「すまひ」と呼んでいたそうです。お気づきでしょうが、このすまひが「すもう」と変わります(「蚩尤戯」という古代中国の競技に由来があるという説もあるようです)。この試合はお互いに蹴り合って、蹴速は死んでしまうというかなり荒々しい勝負でした。その後、野見宿禰と当麻蹴速は力士の神様に奉られています。
相撲は日本の伝統や神道といった宗教、儀式と深いつながりを持っています。例えば、農作物の収穫を占う祭りのイベントとして毎年行われて、それは宮廷行事に繋がりました。平安時代の絵には儀式の様子が描かれたものがあり、300年以上続いたと言われています。鎌倉時代から戦国時代になると武士の時代となり、相撲はそんな武士たちの力自慢の場所として用いられるようになりました。特にこの競技を愛したのが織田信長です。彼は1570年代から92年にかけて、各地から力自慢を集めて安土城などで大会を催しました。勝者は織田信長の家臣となり、重く用いられたそうです。
江戸時代になると力士が職業になります。全国で勧進相撲が行われて、定期的な興行試合が催されたと言います。そこで登場するのが伝説的な存在である谷風、小野川、雷電の3人です。彼らは将軍の前で試合をして、江戸を代表する見世物に成長しました。試合の模様は歌川国輝の絵などに残されています。江戸時代はルールが急速に整備される時代でもあります。土俵入りの作法や、番付表、髷や化粧まわしなどがこの頃に定着しました。幕末にはペリーが来航しますが、このとき歴史にも相撲が登場します。力士たちが黒船に米や鶏を運ぶ担い手となります。江戸幕府は米俵を軽々と持ち運ぶ姿をペリーたちに見せて、「こんなに強い人間が日本にいるんだぞ」ということをアピールしたかったそうです。
明治時代は「裸体禁止令」というお触れがでて、力士自体の存在が危ぶまれた時代もありました。明治天皇と伊藤博文が1884年に天覧試合の開催に尽力したことで危機は乗り越えられたと言います。その後は戦争を乗り越えて、正式に国技となり伝統は続いています。