現代では毎年6場所も開催されるほど、相撲はスポーツの一ジャンルとして人気が定着した感があります。戦時中も基本的に中断されることなく開催されつづけ、コロナ禍による場所の中止は話題になったのも記憶に新しいところです。ことほど左様に親しまれていますが、ながい歴史をもつことは漠然とイメージできても由来や現在につながる流れなどはあまり知られていないのではないでしょうか。そこでここでは相撲の歴史の慷慨を振り返り由来などを御紹介してみましょう。
日本で相撲が行われるようになったのは、古くまでさかのぼり古事記や日本書紀などの日本の神話が記述された文献にも触れられているほどです。古墳からは力士の姿を模した土器も出土していることから、少なくとも4世紀には親しまれていたと考えられています。現代でも天皇が臨席するスポーツを天覧試合と言いますが、力士の取り組みの天覧試合が行われたのは、実に4世紀より前にさかのぼるとされています。当時はスポーツで洗練されたルールやしきたりなどは定着しておらず、もちろん親方のいる部屋に所属することなどもなく、土俵でなぐったりけったりと今では反則技とされている技も繰り出されるなど、かなり様相は違ったようです。ケンカや取っ組み合いの延長のようであったとしても、歴史が下ると次第に娯楽やスポーツで発達していくことに。現代の相撲のスタイルが確立されたのは、江戸時代以降とされています。
とはいえ相撲がスポーツとして確立される前は、儀式に取り入れられることもよくあり庶民の娯楽というよりは、上流階級のカルチャーで認識されていたこともあるようです。奈良時代にはすでに天覧試合に開催されたのは前述のとおりですが、さらに時代が下り平安時代には「すまいのせちえ」で宮中の年中行事になっていくのです。このように宮中の儀式として定着していったのは、日本各地で農作物の収穫を祝う儀式として普及したことにも窺えるように、国家の五穀豊穣を祈る意味合いが色濃く意識されていたからです。
武士が実権を握る鎌倉時代には、戦闘訓練の意味合いのほか武士同士の力試しに活用されることもありました。日本全国に大名が割拠する室町時代では、力士は大名に重用され家臣に取り立てられることもあったそうです。徳川幕府が覇権を握ると娯楽として人気を集めることになった結果、現代のスタイルにおちつきました。社会の趨勢により様々な紆余御曲折を経てきたことがうかがえます。